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海外アーティストが注目するシティーポップの名曲たち

この曲を聴いてほしい 世の中を見る, 時事私論


Amazonから引用
「シティポップの基本」がこの100枚でわかる! (星海社新書)

海外アーティストがサンプリングするシティーポップ

日本国内での認識は低いかもしれませんが、
海外アーティストからサンプリングなどで
日本のアーティストの楽曲を自身のアルバムに
収録されています。

直近では、「The Weekend」(カナダのR&B系のシンガーソングライター)が、
「亜蘭知子」が1983年にリリースしたアルバム「浮遊空間」の中の1曲、
「Midnight Pretenders」をサンプリングし、2022年1月にリリースした
5枚目のアルバム「Dawn FM」に収録しました。

更にサンプリングされた楽曲「Out of Time」
Billboard Hot 100で最高位32位を記録したことが、
日本の音楽ファンの一部で話題になりました。

 

この出来事から、一部音楽ファンの中で「シティーポップ」
見直す人が出てきている傾向が見受けられます。

海外アーティストが取り上げたシティーポップの数々

日本ではあまり知られていなかったシティーポップを
愛する海外アーティスト達の存在が、
改めて日本の音楽シーンで知られることは良いことだと思います。

2010年以前

イギリスでは1980年代中ごろから「J・ブギー」「J・グルーブ」と呼び、
主に山下達郎などの楽曲をダンスナンバーとして評価していました。

20000年代に入ってからは「Youtube」で音楽を聴くスタイルが、
諸外国で定着し、手軽にあらゆる音楽を
楽しむことが出来るようになりました。

その状況下の中で、アメリカの音楽ファンの一部が、
「AOR」の再評価するようになり、日本の「シティーポップ」
発見するに至りました。

偶然だったのかもしれませんが、当時の「AOR」を見直している
アメリカの音楽ファンが、この「シティーポップ」を発見した時は、
まるでお宝んぴゃまを見つけたような気落ちだったのかもしれませんね。

宝を発見

日本語を理解する人はほとんどいない時代の事です。

日本人アーティストのアルバムもさほど、アメリカでは、
流通もしていなかったでしょう。

アメリカの多くの一般人は全く知らない存在でありながら、
その音作りは、一部音楽ファンにとっては
垂涎の逸品に見えたのでしょうね。

2010年から2020年の現代まで

2010年頃から、日本のCM曲をサンプリングするようになり、
オフィシャルヴィデオやアート作品で、用いる事が増えました。

徐々にですが、音楽ファンの間で知名度が上がっていきました。

更に2017年以降アメリカのみならず、アジアでも注目され始め、
諸外国から日本に訪れては、中古レコードショップで
レコードアルバムやCDを買い求める外国人も増えていきました。

この頃特筆するべき点として、2018年に無許可で、
「竹内まりや」「プラスティック・ラヴ(1984年)」が、
YouTubeで公開され、音楽ファンのみならず、一般外国人の
目に触れる事が起きました。

2020年には、「松原みき」「真夜中のドア〜Stay With Me(1979年)」が、
アジアの歌手「Rainych(レイニッチ)」がカバーしたことが話題になり、
「Spotify」や「iTunes」で1位を獲得しました。

そして、この流れはこのブログの冒頭で紹介した
「The Weekend」と続き、今後もさらに「シティポップ」
海外アーティスト達に取り上げられていくのでしょう。

シティポップを取り上げた海外アーティスト達

Angelica Vila – All I Do Is 4 U

「吉田美奈子」「Tornado(1980年)」はアルバム「MONOCHROME」
収録された曲です。

「Angelica Vila」はニューヨークのR&Bシンガーで、
「Tornado(1980年)」をサンプリングしリリースしました。

 

Choi HEART – Elastic Love

「竹内まりや 」「 Plastic Love(1984年)」をカバーしました。
「Choi HEART」は2022年7月にデビューした女性シンガーです。

 

Jenevieve – Baby Powder

原曲は「杏里」「ラストサマーウイスパー(1982年)」
「角松敏生」が作詞作曲しました。

「Jenevieve」は2021年8月にデビューしたマイアミ出身のR&Bシンガーです。

 

Gallant – Julie.

「竹内まりや 」「 Plastic Love(1984年)」をサンプリングしました。
「Gallant」は2014年にデビューしたR&B系のシンガーソングライターです。

原曲は「細野晴臣」の「Honey Moon(1975年)」。
アルバム「トロピカル・ダンディー」に収録されています。

「Mac DeMarco」はカナダのシンガーソングライター、プロデューサーです。
日本語が堪能なのでこの曲も日本語で歌っています。

シティーポップと呼ばれたのは何時から

「シティポップ」と呼ばれ始めたのは、1970年代半ばころです。

しかし、当時の音楽の一ジャンルとして
定着していたわけではありませんでした。

1970年代当時は、まだ「歌謡曲」「演歌」
広く世間に受け入れられていた時代で、
やっと「フォークソング」が認められた頃と重なります。

「フォークソング」は当初は、アメリカのフラワームーブメントと
左翼思想家による政治体制の批判が複雑の絡み合い、
世相を批判するような歌詞が持て囃されていました。

また、生活レベルの低い底辺と言われる貧しい人の
生活描写を歌うフォークシンガーもいました。

しかし、東大闘争に見られる国家権力の前に立ち向かう
反権力闘争はやがて萎んでいき、生き方に迷う若者の
生態を歌う「四畳半フォーク」へと変遷していきました。

その様な音楽業界の流れの中で、「歌謡曲」でもない、
「演歌」でもない、況してや「フォークソング」の範疇にも入らない
楽曲を演奏して歌うミュージシャンが現れました。

例えば、「はっぴいえんど」「シュガーベイブ」が起点となり、
「山下達郎」「吉田美奈子」「南佳孝」「荒井由実(現松任谷由実)」
「竹内まりや」「大貫妙子」「大瀧詠一」等葬送たるアーティストが
登場し、あるアーティストは現在も活動しています。

「シティポップ」の終焉は1980年代後半にブームとなった
「バンドブーム」や「J-Pop]という言葉が世間に認知され、
歌詞自体も地に足の着いたような内省的な歌詞の曲が
ヒットしたことによりゆっくりと衰退していきました。

この様に時代の流れを見ていくと
「シティポップ」の始まりは1970年代前半から
バブルがはじけ飛ぶ頃の1990年頃の20年間を指すものと言えます。

AORの影響を濃く受けたシティーポップ

「シティポップ」がまだ世間にあまり認知されていない頃に
海外から入ってきた音楽ジャンルの言葉に
「A.O.R(アダルトオリエンテッドロック)」があります。

この「A.O.R」「ソフトロック」とも呼ばれ、
都会に暮らすちょっとおしゃれな男女の粋なスタイルを
音楽で表していました。

歌詞の題材として、都会に暮らす孤独感やビル群に
埋もれる風景や時には海や自然を感じさせるものなどを
歌ったものもありました。

「A.O.R」の特徴の一つとしてやや「Jazz」よりな
コード進行を好むきらいもあったようです。

ちょっとジャジ―な感じを持たせながら、
聞きやすいメロディラインは、聞く側にとって
気持の良いものでした。

さり気ながら、しゃれた歌詞を複雑なコード展開での演奏は、
都会に自然と溶込むようなそんな雰囲気を併せ持っていました。

「A.O.R」サウンドの代表的なアーティストは
「スティーリーダン」
「ボズスキャッグス」
「ボビーコールドウエル」
「ルパルトホームズ」
「ビルラバウンティ」等多数

この「A.O.R」サウンドは「シティポップ」と共通する部分が、
多くあり、日本語の歌詞が若者世代を
中心に受け入れられていきました。

しかし乍ら、「シティポップ」は商業的に成功するためには
ある程度歌謡曲の世界と付かず離れずの距離をもっていました。

「シティポップ」アーティストの作品やアーティストの
人気が高まると歌謡曲界は、「シティポップ」アーティストの
楽曲制作を依頼し、受け取る側もヒット曲を連発するようになり、
双方がプラスに働いていきました。

これだけは聞いてほしい、シティーポップの名曲たち

「シティポップ」というジャンルが明確に存在していたわけでもないので、
アーティスト側も特にこだわっていはいなかったと思います。

もしこだわっている点があるとしたら、「歌謡曲」「演歌」ではない
というぐらいでしょうか。

ここでは、「シティポップ」の名曲と言われるものと
アーティストを取り上げたいと思います。が、
何せ数が多いのでほんのさわり程度で勘弁してください。

シンガープラ(1976年)加藤和彦

第2期ソロ活動を始めて最初に出したシングル曲です。

これ以降、作詞家の「安井かずみ」とのコンビで
ライトアンドメローな曲を世に送り出しています。

密会のHIGH NOON(1986年)山本達彦

「山本達彦」さんは、「オレンジ」というバンドでデビュー。

バンド解散後、ソロとして活動していました。

「密会のHIGH NOON」は、CMソングに採用されたので
聞いた記憶がある人もいるでしょうね。

夏のクラクション(1983年)稲垣潤一

この時代CMソングに起用されるケースが多く、
この「夏のクラクション」「富士フィルム」
CMで使われていました。

また、動画に使われているイラストは、
多くのアーティストのレコードジャケットに使われた
「鈴木英人」の作品と思われます。

君のハートはマリンブルー(1984年)杉山清貴&オメガトライブ

「杉山清貴&オメガトライブ」の奏でるサウンドの
清々しさは、都会的というより、夏の終わりに訪れる
恋の終わりを鮮花に歌っていましたね。

ペーパームーン(1976年)大橋純子

「ペーパームーン」「大橋純子」が、
「美乃家セントラル・ステイション」と組む前の
ソロ活動されて一時にリリースした曲で、
最初のヒット曲と言われています。

マイ・ラグジュアリー・ナイト(1977年)しばたはつみ

「来生たかお」の名前が知られた曲としても有名です。

悲しみのサンクチュアリー(1986年)  Reimy (麗美)

沖縄出身の「麗美」三枚目のフルアルバムのタイトルチューンです。

1984年1月1日に「松任谷正隆・由実」夫妻の
全面バックアップでデビューしました。

A NIGHT IN NEW YORK(1986年)Kangaroo

「Kangaroo」は1983年から1986年まで活動した
「Fusion Band」「和製シャカタク」と呼ばれ
人気がありました。

雨に描いたリグレット His Regret(1985年)彩恵津子

「彩恵津子」さんのこの曲は3枚目のアルバム「Delication」
収録されていますが、シングルカットされていないので、
知らない方もいるかもしれませんね。

月下美人(1986年)門あさ美

「門あさ美」さんのアンニュイな歌い方にはまった人もいるでしょうね。

あまりメディアに出てこなかった印象がありました。

以上のアーティスト以外に「Wikipedia」で取り上げている
アーティストを下記に表記しておきます。

以上「Wikipedia シティポップ」から引用しました。

あとがきに変えて

2022年現在、「シティポップ」が日本で
どれほど注目されているかというと
殆ど注目されていないように感じます。

日本より海外のアーティスト、音楽ファンが
注目し、自身の作品に取り入れたり、
日本に訪問し、1970年代を中心に
レコードやCD を爆買いしているように思われます。

海外アーティストがサンプリングしたり、
カバーしたことがニュースに取り上げられ、
一時的に日本の音楽ファンが気にする程度ではないかと
筆者は感じています。

1960年代からあらゆる音楽を聴いてきて
海外で評価されている「シティポップ」
只なつかしさを覚えるとともに、
TVの音楽番組に出ているアイドルにはない
歌世界の美しさを再確認する今日この頃です。

 

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